「さっきから“犠牲”、“ぎせい”、“ギセイ”って……! いい加減やかましいんだよ!」


「クリスティーヌ・クリストファとは“初めから存在しない”私の妹ではない」


「おかえりなさい。シエル。いえ〈蒼の終点〉」


「汝、時に弄ばれる運命なり」


「そんな……っ、そんな戯言を振りかざすなぁ——ッ!」

TIME DIS:CHORD


華美な刻盤を巡る時の大陸——オスティナート。
始まりは終わりの日。邂逅(であい)別離(わかれ)の日。それは帰還するための予定調和。
少年と少女が時の欠片にうっすらと手を重ね合わせた日。

「ねぇ、カタリーナ。4年って長いと思う? それとも短いと思う?」
「あたし、その手の質問が嫌いなのをご存じかしら?」
「知ってるよ。知ってるけど、あえて聞いてるんだ」
「……そうね。短いんじゃないかしら」
「理由は?」
「かの偉人は言ったわ。一つのことを成し遂げるには一生なんて短いって」
「何もしないで過ごすには長いとも言ったけれど」
「そう考えると4年なんて、長くもなんともないわ。そうね、適当な岐路にたどり着ければ合格点じゃない?」
「そんなものかな」
「そんなものでしょ。それで、何が4年なのかしら?」
「え?」


——アレクにも紹介するわね。
——紹介って、誰を?


「わざわざ4年と言うあたりからして怪しさ120点よ。何が4年なのかしら」
「……いや、ね」
「なによ」


——この子が、今日からあたしたちの弟になる“エルス”よ。
——はい?


蒼空の全ての光を吸い込み、至上の宝石のごとく蒼の輝きを放つ瞳。
零れ落ちることがなかった涙の代わりに、記憶を落とした時の迷い子。

「エルスが僕らの弟になってそんなに経つんだなぁって、ね」
「たったの4年、よ。ようやくまともな家族会話ができるようになったぐらいじゃない」
「まぁ、最初はカタリーナがその辺の路上にいる子供をさらってきたかと本気で思ったけど」
「おにーさまは、かわいいかわいい妹をそれはそれは信用していらっしゃらないようで」
「……そういう言葉は、信用される行動をしてから言って欲しいかな」
「あら、あたしはアレクセイお兄様のことをそれはそれは尊敬して平伏したくなるほど敬愛してるわよ」
「ありがとう」
「つれない返事ね」
「つれたくもないよ」
「……おにーさまは、かわいいかわいい妹がそれはそれはお嫌いでいらっしゃるようで」
「嫌いなわけじゃないんだけど」
「兄は妹を寛大に受け止めて愛するべきだわ。それこそが兄の義務だと思わない?」
「可愛げにもよるかな」
「あー、そうですか。お兄様は実妹よりもどこで生まれたかも名前すら忘れてしまった義弟の方がかわいいですか」
「……カタリーナ。そういう言い方は」
「そんな怖い顔で睨まなくたっていいじゃない。“事実”なんだから」
「……。古都トレーネの〈知恵の館〉でもお手上げだなんてね。唯一出てきた手がかりといえば——」
「——先人。オルドヌング族の末裔」
「信じてるの? 解析結果」
「信じてるのって、結果という事実は信じるも何もないじゃない。そこにある以上、認めるだけよ」
「でもさ、常識的に考えても……」
「想像や人の叡智を越えたことなんて世の中には山ほどあるわ。それこそ、星の数ほどにね。それとも、“ヒト”の枠組みの中ですべてが収まるほど世界は易しくて解り易いとでも思っているのかしら?」
「それは——……そうだね。なんていうか、スコットさんとかカタリーナとか見てると、“ない”ことを証明する方が難しい気がする」
「そこで思い切り落ち込まれるとなんだか無性に腹が立つわね。父さんはともかくとして」
「いずれにしても、とんでもないエーテル数値を持っているっていうこと以外はさっぱりってことか」
「なんかぶつくさ話してないで助けろってキャス姉! アレク兄——ギブギブ! 師匠関節技止めてくだ——っえ、ちょ、サブミッショナルフルコ——わ、だぁぁぁぁぁっ!?」
「どうした我が弟子。始めて3分。たったこの程度で根を上げるのか?」
「それにしても、いつ見ても間抜けな阿鼻叫喚よねぇ。まったくうちの愚弟は根性が足らないわ根性が」
「ちょっとジェシカ!? 真面目に僕の弟殺さないでね!?」
「根性あったところでどうにもなんないだろカタリーナ! 叫ぶぐらいなら止めにかかれよアレクセイ! だから、そこは骨、ホネ、ほね!」
「何を言うエルス。今更骨の一本や二本——」
「まぁ、折れてもあたしは問題ない——」
「カタリーナまで何言ってるの!?」
「——折れたところでそこで高みの見物をしているグラシアン兄妹の懐が医療費という出費で干からびるだけだ」
「エルス!? 言っておくけど骨が折れたら実費で病院行きなさいよ! あたしは次の休みにブィリーナの春の新作買いに行くんだから!」
「あっさり手のひら裏返した!」
「——だそうだ。というわけで、エルス・グラシアン。耐えて見せろ」
「い——ぎっ!?」
「エルスーっ!?」


血の誓約も歌のような契りもない。
降り積もる雪のような記憶も、手を握りしめた暖かさも。
ただ、傍にいるだけで家族だった。家族でいられた。

「……本っ当ーに、毎度のことながらよく死なないもんだよなぁ」
「あら、そんなすごい人と手合せしてるなんてすごいわね」
「すごいというより、常々生きていられるのが不思議でたまらない」
「まるで、命でも狙われているみたいな物言いね。その人はあなたのお師匠様なのでしょう?」
「……おそらく。いや、かもしれない? だといいなぁ」
「大丈夫よ。わざわざ修行に付き合ってくれるのだから、きっと優しい人だと思うわ」
「ヤサシイ……。あー、うん。世界にはそんな単語があった……と思う多分」
「それで、あなたはどうしてここに?」
「その“おっかない師匠”に頼まれごとをされてな。この国の王女様に会って来いってさ」


世界の全ての生命に優しさを落とす、聖なる光に満ち溢れた庭園。
永久凍夜の氷さえも春の微笑みで解かしてしまう、
永続的な安らぎを約束された聖都サン・オラシオン。


「しっかし、サン・オラシオンってあのオスティナート大陸屈指の中立国でしょ? そんなところにお届けものを、しかも、エルスに、直接?」
「私の友人の頼みでもあるからな」
「ジェシカ……」
「何だ?」
「あんた友達がいたの!?」
「貴様がいえる台詞じゃないと思うが。カタリーナ」
「まぁ、それは否定しないわ。でもどんな子?」
「あぁ、彼女は——」


「王女? 誰が?」
「私、私は——」


「聖都サン・オラシオン第一王女にして第一王位継承者クリスティーヌ・クリストファ」

心の淀みさえも浄化してしまう癒しの微笑みで〈不協和音〉は、そう名乗った。

「どうした? 鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をして」
「どうしたも何もないわよ。おったまげるでしょうが!」
「何がだ?」
「王女様とお友達なんて普通じゃありえないでしょう! 前々から思ってたけど、あんたの交友関係はどうなってるのよ」
「どうもこうもない。“血の繋がった存在”なんてものは、もっとも狭い交友関係だろう?」
「は?」
「おや、言っていなかったか? 彼女は私の——」

「妹? 俺の師匠の妹って……え?」
「つまりは、ジェシカ・ル・ロアの妹よ」


道化師は舞台の開幕を嘲笑う。

「さぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 時に弄ばれる道化人形と少女の物語の開幕だ!」

「えーと、ちょっと待ってねジェシカ」
「いくらでも」
「その流れで行くと、あんたも同じお姫様っていうことになるんだけど。あたしのこの理解は間違ってるかしら?」
「間違っていないと思うが」
「なら、お姫様がこんなところでふらついてていいのかしら」
「残念ながら私はクリスティーヌではなくジェシカだ」
「“ジェシカだ”もなにも、あんたはジェシカ・ル・ロアじゃない」
「そうだな。お前たちと一緒にいるとジェシカ(・・・・)でよかったと心から思える」
「……ジェシカ?」
「戯言が過ぎたな。……では、私も取り掛かりましょうか。手伝ってくれるかしら?」


「道化人形は何も知らず、少女はすべてを知っている……嗚呼、なんという悲劇!」

「ったく、おてんば王女ってあんたみたいなやつのことを言うんだろうな」
「具体的には?」
「火事の家に取り残された子供を助けるために乗り込んだ挙句、子供を助けてぶっ倒れる奴」
「そういうあなただって、私の後から乗り込んできたじゃない」
「師匠の妹を見殺しにしたら俺が殺されるし、死なれたら後味悪いからな」
「ふふ」
「……んだよ」
「なんでもないわよ」
「なんでもなくないだろ」
「なんでもないわよ」
「なんでもなくない」
「なんでもなくないけどない」
「いや、なんでもなくないけどなくないっ……あれ?」
「ほら、なんでもないじゃない」
「ごまかすなっ!」


「道化人形は操り糸に動かされるまま少女を殺めてしまうのか? それとも、悲劇を覆し見事少女を救ってみせるのか?」


「それで、その王女様とやらが何でこんな下町にいるんだ?」
「散歩のために城から出てきたのよ」
「そりゃまた、お忍びとは良いご身分なこって」
「大丈夫よ。衛兵もお父様もお母様も親衛隊もみんなに行き先は告げてあるから」
「……は?」
「門限までに帰らないといけないけれど。でも下町はよく来るし、みんなとも顔見知りだから咎められるようなこともないのよ」
「待った。待った待った。……今なんつった?」
「でも、下町に行くと言うと、親衛隊の方は困ったような迷惑なような顔をするから、せめてもののお詫びと思ってお土産を持っていくのだけど」
「……それ、迷惑がってるわけじゃないと思う」
「そう? わかってもらいたくてお話をするのだけど、いつも怒鳴られてしまうのよ。やっぱり、はしたない王女って思われているのかしら」
「怒ってるんじゃなくて、絶対心配で心配でしかたないだけだと思うぞそれ……」
「ねぇ、エルス。今日はどんなお土産がいいかしら。あなたの意見も参考にさせてもらいたいの」
「そこで俺に話を振るのか!?」
「驚かせてしまったのならごめんなさい」
「そうじゃなくて!」
「そうじゃなくて?」
「だめだ。あんたと話していると……」
「先ほどから気になっていたのだけど、私はクリスティーヌというの」
「……。クリスティーヌ王女と話をしていると……」
「あと、できれば“王女”も取っていただけるとありがたいわ」
「………。クリスティーヌと話しているとこっちのペースが狂う」
「ごめんなさい……。そんなつもりはなかったのだけど」
「そこで真剣に本当に申し訳なさそうな顔をすんな!」
「私どうしたらいいかしら。やっぱり、謝るだけではだめよね」
「違う違う。違うから!」
「違うの?」
「違うっていうか、なんていうか。もうお前やだ……」


「第721フェーズ終了。接続シークエンス開始——」


「しっかし、こんなんであちら側とつながるのかねぇ」
かつて棺に入れられて〈零の海〉に漂流したのは祝福された青年。

「さっきの質問の答えだけれど、今日は散歩に来たわけじゃないのよ」
「そうなのか?」
「実はあなたが来ることをジェシカに教えてもらっていたから、会いに来たのよ」
「俺に?」
「ええ」
「またなんで」
「興味があったからよ。私を〈対生成〉した人がどんな存在なのか」
「つい、生成……?」
「ええ。まさか包含する力も権限も私とほぼ同一だとは思わなかったけれど」
「どういう意味だ、それは。クリスは——いや、お前は何の目的で俺に近づいた!?」
「とても、とても簡単なことよ。それはね——」


聞こえたのは、世界が壊れる音。


「——。……何を、何を……お前は言ってるんだ?」
「そのままの意味よ」
「ふざけるのも体外にしろ! なんなんだよ! いきなり現れて、いきなりそんな——」


刻まれた証だけを信頼するあどけない娘は漂流した青年に問う。

「つながるも何も、源点は同じだと思うんだけどね。〈代替世界〉だって元は〈既存世界〉だったわけだし」
「クク、そいつぁ言えてる」
「ユーリー様。準備が完了しました」
「おう、サンキュ。さぁて、悪いがとっととこっち側に還ってきてもらうぜ。〈蒼の終点〉」


全ては還り、全ては巡る。オルフィレウスの泉が原初であるように。
小さな、ほんの小さな仮初の死に似た静寂に決別を告げて。

「ふざけてなんかいないわ。私は真面目よ」
「なおさらたちが悪い。出会って間もない相手に、よくそんな頭のいかれた発言ができるもんだな」
「それは……え?」
「……なんだよ」
「そんな——まさか、〈対消滅〉を人為的に起こすつもり……!?」
「おい、何を言ってる?」
「下手をすれば〈質量欠損〉どころの騒ぎじゃないわ。一体誰が——」
「さっきからお前は何を言ってんだ! こっちにもわかるように説明し、——う、あぁぁぁぁっ!?」
「エルス!」

〈ヘブンズ・ゲート〉、〈世紀末の扉〉、〈地平線の門〉
第四の扉は沈黙を保ち、開かれたのは第五の扉。
……扉の名はまだ誰も知らない。