〜 二譚 〜

 白い石の継ぎ目が美しい、空色の屋根の城。
 ヴェール・ド・マーレの町を一望できる高台。そこにそびえ立つ領主の城は、圧巻の一言だった。
 優美な双子の尖塔せんとうを持つ大きな城をぐるりと囲む城壁は、強固な守りを示すように分厚い。
 古く歴史的な城の手前にある堀、その豊かな水のほとりには白く小さな花が咲いている。
 美しく巨大な城に圧倒されるまま、トーリは口を開いた。
「でけー……」
 澄んだ空のはるか向こうへ、すらりと伸びる尖塔の先端をまじまじと見つめる。
 と、立ち止まったトーリの脇を、フリアがさっさと通り過ぎていった。
 途中、歩き出そうとしないトーリに気づいたらしい。堀にかけられた跳ね橋の真ん中あたりで振り返ってくる。
「どうしたのですか? トーリさん」
「え、行くの?」
「行きますよ?」
「くぅきゅ?」
 堂々とした石造りの城を背に、クィーと一緒になって小首を傾げるフリア。
 あまりにも大きい城を指さしながら、トーリは真顔で質問。
「……でかくない?」
「大きいですね」
 でもそれが何か? そう顔に書いてある。
 平然としているというより、見慣れ過ぎて興味関心の対象から外れているらしい。トーリはそう受け取ると、特に追及せずフリアを追いかけることにした。
 やってきたアーチ形の門の両脇には、紺色の服の衛士が一人ずつ立っている。
「はじめまして、おれトーリって言います。本日はメルクマール様はいますか!」
 片方の衛士に、元気よくあいさつ。
 若い衛士はトーリをちらりと観察してから、一つうなずいた。
「ふむ、アポイントは取っているか?」
「アポイント?」
「面会の予約のことだ。アポイントを取ったことを証明する書類がなければ、通すことはできん」
「じゃ、じゃあ、それ取ります。どこで取ればいいんですか?」
「役場だ。ここへ来る途中、左手に防柵で囲われた大きな敷地があっただろう。そこに書類が置いてあるから行くといい」
 つまり、逆戻りしなければならないらしい。
 しかたない、とトーリは軽く肩を落としながら来た道を引き返そうとし――重要なことを思い出した。衛士に聞いてみる。
「ちなみに、それを今から取った場合、どのぐらいでメルクマール様に会えますか……?」
「半年後ぐらいだろうな」
「はん……」
 思わず絶句。
 当たり前のような顔をしている衛士を、ぽかんと見上げてしまう。
 すると、後ろで控えていたフリアが、特に慌てるでもなく、ちょいちょいとトーリの肩を突いてくる。いつの間に、肩にクィーはいない。
「トーリさん、〈竜の里〉の出身者だと言ってセト様から預かったメダリオンを見せてみてください。本当にここに竜がいるのなら、無反応ではいられないはず」
「あ、そっか。……でもそれズルっぽくない?」
「正攻法での攻略は諦めてください。半年もちんたらここで待ってたら期限が来てしますよ?」
「もしかしてフリア、最初からそのつもりでいた……?」
「相手はこの都市を治めている統治者ですよ? 何のアポイントもなく、お目通りがかなう相手ではありません」
 正論で一刀両断。
 それもそっか、とトーリはあっさり納得しながら、首にかけられた革ひもを引っ張った。くすんだ輝きを放つ、オールドローズのメダリオン。
 楕円形のペンダントにも見えるそれを手の平に乗せ、トーリは衛士に再び自己紹介。
「おれ、〈竜の里〉から来たんです。で、ここに竜がいるって聞いたので、一度、あわせてもらえませんか」
「……は? 〈竜の里〉ぉ?」
「あれ?」
 意外な反応に、逆にトーリの方が目を丸くする。
 大げさに驚いてくれることを期待したわけではないが、少しぐらい興味を示してもらえると思いきや、聞いたこともないと言った風。
 これにはフリアも無表情で何か考え込んでいる。
 目の前の衛士が、門の反対側に立っていたもう一人の衛士を手招きで呼び寄せる。
 怪訝けげんそうな顔でやって来るもう一人の衛士に、〈竜の里〉って場所、知ってるか?と質問。
 だが、聞かれた側の衛士は困ったように肩をすくめただけだった。
 いわく、あれはおとぎ話だろう、と。
 ――トーリとしては完全に寝耳に水だった。
 竜がヴェルシエル大陸から姿を消して五百年。
 確かに、人々の記憶から消え去り、伝説や神話として風化していてもおかしくない年月は経っている。
 だが、トーリにとっては伝説でもおとぎ話でもない。現在、今この瞬間も続いている話だ。
 時の流れにぽっかりと取り残されたような――目の前の二人との間に大きな断絶を見た気がして、トーリは口をつぐんでいた。
 すると、衛士二人が突然、姿勢を正した。支柱が通ったように、びしっと背を伸ばす。
 何事かと思い、トーリも後ろを見やる。
 二人の護衛を引きつれた黒髪の男が、広い石段を上って来るところだった。金糸で刺繍が施された上質な絹のローブを着た、若い男。
 夜を溶かした黒い髪を柔らかく揺らす面差しは、まだ三十歳に達していないだろう。二十代中頃か後半か。
 衛士の一人がはきはきと、どこかうれしそうに顔をほころばせる。
「メルクマール様! お戻りで!」
 聞こえた名に、トーリははっと目を見開いていた。
 ――メルクマール・シャルセディオ。
 海上都市ヴェール・ド・マーレの領主。
「お疲れ様です。いつもありがとうございます」
「とんでもありません。無事の帰還、何よりです」
 頭を下げようとする衛士たちを、メルクマールが軽く手で制する。
 柔らかく、そして、しっかりとした目をした人だな、というのが初対面のトーリの印象。
 衛士にほほ笑みかける姿は穏やかだが、灰色の瞳の奥に強い光が見える。柔軟さと強靭きょうじんさを兼ね備えた揺るぎない光。
 瞳の光の強さと、相手が領主というのもあって、トーリの中に緊張が走る。
 メルクマールは、武装した二人の護衛を後ろに、衛士たちやり取りを交わす。
「海はいかがでしたか」
「潮の流れが美しくてね。今年は去年以上の豊作だろう」
「それはすばらしいことですね」
「ああ、これも竜の祝福があればこそ、だ」
 ――竜。
 自然とメルクマールの口から放たれた言葉。
「制定が先送りにされている税源移譲案の代わりにはなりそうでしょうか」
「そんなことまであなたたちに気にさせてしまっているのか。上に立つ者としてふがいない限りだな」
「いいえ、衛士として、ごく普通の興味関心事ですから」
「中央政府から交付される財源が増えるという話も耳にしましたが、そちらは北で開発予定の水道橋の予算に――」
 メルクマールが困ったようにほほ笑む。
「二人とも勘弁してくれ。そんなことより、君たちもたまには休みの日は港に行くといい」
「港、ですか」
「優雅なジャズが流れるストリートで一杯やるのもいいだろうがね。あそこはいい。活気にあふれている。何より――」
「何より?」
「女性が美しい」
 冗談めかして片目を閉じるメルクマール。
 一瞬、きょとんとした衛士たちだが、からかわれたと思ったらしい。お戯れを、と苦笑を返してくる。
「大事なことだ。人も町も海も美しい」
 そう目を細めながら、ヴェール・ド・マーレでの出来事をあれこれ衛士に語るメルクマールの眼差しは柔らかい。
 都市も、都市の人も、ヴェール・ド・マーレの全てを大切に思っているのだろう。
〈竜の里〉を想うセトと通じる空気に、どこか張りつめていた緊張がほぐれていくのをトーリは感じた。大人しく衛士とメルクマールの会話が終わるのを待つ。
 と、衛士との話もそこそこ、メルクマールがトーリたちを見た。
「ああ、すまないね。つい話し込んでしまった。君たちは?」
「はじめまして。トーリ・ローアルって言います」
「ようこそ。はじめまして、ということは、君は観光客かな?」
「はい。昨日、海上都市ヴェール・ド・マーレに来たんです」
「アポイントも取っておらぬ、よそ者の小僧です」
「む」
 水を差すような衛士の声。
 メルクマールと話していた時と異なり、衛士の態度には明らかな落差があった。
「おまけに、〈竜の里〉などという、眉唾物の出の者らしく……。メルクマール様に面会を求めているのですが、出直してくるよう伝えたところです」
「……〈竜の里〉?」
 メルクマールの瞳に興味らしきものが浮かぶ。
 もしかしたら、とトーリの中に淡い期待が灯りかけ――だが、申し訳なさそうな顔をしたメルクマールに首を横に振られてしまう。
「すまないな。せっかく来てくれたところ申し訳ないのだが、君一人を特別扱いするわけにはいかないんだ」
「で、でも! おれ急いでて!」
「――トーリさん」
 フリアがトーリの名を呼ぶ。強くもなければ弱くもない、普通の声。
 無言で首を横に振るフリアに、トーリもぐっと堪えて口を閉じる。
 と、今度はメルクマールの視線がフリアに向かう。正確には、髪とフリアの胸元のペンダントに。
 ……メルクマールの空気と目の色がゆっくりと変わった気がした。
「……入れておやりなさい」
 静かなメルクマールの言葉。
 刹那、フリアがパールグレイの瞳をすがめた。
「え?」
「は?」
「メ、メルクマール様!?」
 トーリと衛士二人の声が重なる。
 対し、フリアは警戒の色を深め、ますます眉間にしわを寄せていた。
 メルクマールは門へ歩き出しながら、トーリたちに、あるいはその場にいる全ての人間に対して語りかける。
「私に用があるのでしょう? 少しぐらいなら、予定を切り詰められますから」
「で、でも――」
「行きましょう、トーリさん」
 食い下がろうとしたトーリを遮って、すたすたと涼しい顔のフリアが歩き出す。
「せっかく、ご招待してくださるようですから」
 不遜とも呼べるつっけんどんなフリアの態度。
 門の裏側にいる衛士たちが滑車を回し、落とし格子を押し上げる。
 軋みを立てて上がる格子の向こう、夏本番のまぶしい陽光の下には、色鮮やかなブーゲンビリアと緑があふれる庭園が広がっていた。
 先頭のメルクマールが庭園の中央の道を進んで行く。もちろん、護衛の二人とフリアも。
「ええー……?」
 トーリが困惑気味にぼやくも、誰も振り返ってくれない。
 メルクマールは井戸からくんだ水をまいている庭師に笑いかけている。
 そんなメルクマールを油断なく見張りながら、フリアは感情が一切読めない無表情。
 護衛の二人にいたっては、主の行動に口を挟むなど無礼と言わんばかりの終始無言だ。
 はあ、と嘆息を一つ落とし、トーリは走り出した。赤いゼラニウムが左右に植えられた道を抜ける。
 ――今、わかったことがあるとしたら、一つだけ。
 恐らく、お互い直接の面識はなくとも、フリアとメルクマールには間接的なつながりがある。ブライヤーの時と同じように。
 ただ、どんなつながりかは、トーリには見当もつかなかったが。

 大門を潜り抜けると、天上の高い広大な広間があった。
 あまりの高さに思わず見上げるも、壮大なシャンデリアの輝きにちかちかして目をこする。
 金の燭台しょくだい、濃く深い紅色の敷物、豪奢ごうしゃな調度品をぜいたくにしつらえた、きらびやかな宮殿のような内部。
 しんと硬質な空気も相まって、どうにも場違いなところに来てしまった感がぬぐえない。そわそわと落ち着かない心地で、トーリは屋敷のあちこちに視線を飛ばす。
 メルクマールの後に続いて歩く正面、踊り場の壁にかけられた数々の肖像画は、過去の領主のものだろう。
 一番、新しそうな肖像画を見やる。髪の毛を短く刈り込んだ、いかにも厳格そうな顔をした壮年の男が描かれていた。トーリの中にある領主のイメージそのままだ。
 眼光鋭くトーリたちを見据える肖像画の男は、前を歩くメルクマールと同じ漆黒の髪。
 もっとも、顔立ちは――雰囲気が違い過ぎるからか――まるで似ていなかったが。
 美しく滑らかな石の床、フリアは慣れた足取りだ。
 と。
「トーリさん」
「何?」
 唐突にささやくような小声で呼ばれ、トーリも限りなく声を潜める。
 前を向いたフリアは、正面から視線を逸らさない。
「……あの領主さんと話をする時に注意して欲しいのですが、間違っても反発してかみつくようなことはしないでください」
「え?」
「相手はこの都市の最高権力者。へこへこしろとは言いませんけど、波風立てない方がいいですから」
「って言われても……」
 なかなか高度な要求だ。困ったトーリはわずかにしかめ面。
 フリアは前を向いたまま、胸元のペンダントをぎゅっと握りしめている。円形の平べったいガラスには、紋章も何も浮かんでいない。
「なんでそんなに敵意びんびんなのさ」
「敵意ではありません正当な警戒心です」
「正当……。えっと、じゃあ、なんでそんな警戒心全力全開なのさ。別に悪い人には見えないけど」
 控えめに言う。悪い人には見えないどころか、トーリはメルクマールに対し、好意的な感情すら覚え始めていた。
 だが、フリアは、つん、とすまし顔で。
「あんなの猫被ってるだけです」
 辛らつに一言。まるでトーリと出会った頃のフリアに戻ったみたいだ。
 弱ったなあ、と、人見知りの激しい猫でも見ているような気分でいれば、フリアはきびきびと厳しい口調で指示してくる。
「あと、相づちはいいですけど、うかつな同意とか肯定は絶対にだめです。同意できない場合は、難しくてわからないとでも言っといてください」
「な、なんか難しいこと言うね……」
 駆け引きはトーリの苦手とするところだ。演技や腹の探り合いといったものも。
 すると、メルクマールが肩越しに首だけ振り返ってきた。いたずらっぽく片目を閉じ、トーリたちにほほ笑みかける。
 ああ、やっぱりバレてる。
 トーリはぎくりとするでもなく納得した。
 メルクマールとの距離は、大きく一歩踏み込んで剣を突き出せば、相手に届く間合い。トーリが剣客として対峙したなら、一挙一動、呼吸の一つまで相手を見張る距離。
 剣客でなくとも、メルクマールも人々を統括する立場にある者として、普段からあちこちに気を配っているのだろう。気づいて、十分、聞き耳を立てられる範囲だ。
 ……まさかウインクまで投げてくるとは思わなかったが。
 見かけによらず、お茶目なんだなあ、などとすなおな感想。
 領主という存在全般に対して抱いていたイメージが変わっていくのを感じていれば、隣で燃え上がるどす黒いオーラ。
 ひっ、とトーリは肩をすくませた。
 見れば、無言のフリアが、黒々とした炎をまといながら、額に怒りの四つ角を浮かべていた。
 メルクマールのウインクを挑発と受け取ったか、敵対心を煽あおりに煽られたらしい。
「ふ、フリア……? どうかした……?」
「いいえなんでも?」
 初めて見る、フリアのにっこり笑顔。
 普通に怖い。
 やがて、メルクマールが大きな扉の前で立ち止まった。
 メルクマールの両脇を固めていた二人の護衛が、両開きの扉の左右に立ち、それぞれ左右の扉を同じタイミングで開く。
 ぎぃ、と重々しい音を立てて開かれる扉を見ながら。
 何も起こらなければいいな、とトーリはいっぱい祈った。

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