〜 一譚 〜

〈竜の里〉の族長の息子であるセトに、なぜトーリが好感を抱いていないのかというと、後にも先にもトーリに旅に出る許可をくれないから、に限る。

「だーかーらー、やってみなきゃわかんないだろ」

 セトとの世間話もそこそこ、トーリのいつものお決まりの台詞がさく裂した。

「君の根性論みたいな言い分は、別の件ならいくらでも応援してあげたいところなんですけどねぇ……」

 そう苦笑まじりにたしなめてくるセトの物腰はいたって穏やか。
 セトはトーリやトーリより年下の子供にもこまめに目をかけていて、族長の息子であることとは関係なく、彼を慕う子供は多い。もちろん、トーリもそのうちの一人だ。
 週に一度、セトの屋敷で開かれる日曜学校で、大陸史と教養はセトから教わっている。トーリや村の子供にとっては、族長の息子というより教師のようなものだ。

「っていうか、なーんでおれだけ社会経験もさせてくれないの?」

 ちくちくとトゲでつつくようにねだってみる。
 トーリの父が亡くなってから八年。
 いつか〈竜の里〉の外に出て、竜と契約を結び直すことを夢見るトーリだが、未だに〈里〉の外に出してもらえない。
 そして、セト。
 盲目の族長に代わり、周辺の村や大都市の会議に赴くセトは事実上、〈竜の里〉の現族長と言って差し支えない。
 小さな〈竜の里〉という社会において、族長は王にも等しい存在だ。
 つまり、セトが許可を出さない限り、トーリは竜を探す旅に出られない。もちろん家出はできるが。
 その昔、オルドヌング王朝の崩壊と共に、王政は滅びたのではなかったのか、という嫌味を内心で吐きつつ、別の嫌味を言ってみる。

「このままじゃ、おれ、あと二か月で十六歳になっちゃうんですケド」

〈竜の民〉は十五歳の誕生日を迎えた後、近隣の都市の一般家庭で働きながら一年生活する決まりがある。
 が、未だにトーリだけがその社会経験をさせてもらえない。
 きりっ、とセトがやたら真面目な顔つきで答えてきた。

「長い間、里から離れられるのをいいことに、勝手に竜を探す旅に出そうだというのがトーリ君のお母様のご意見です」
「そ、そういうずるいことはしないよ!」
「本当に?」
「…………………た、たぶん?」

 語尾が迷子のようにうろたえる。
 セトが妙に生暖かい目をしていた気がするが、気のせいと思うことにした。

「そ、そんなのはいいだろ! そういうんじゃなくて、もっとちゃんとした理由を教えてよ! おれのこと外に出したくない理由!」
「もう、数百年以上、竜と契約を結べた人間はいません。その昔、君のように意気込んで村を出ていかれた方々も、失敗して帰ってきました。その……」

 ためらうようにセトが言いよどむ。それから、言葉を選ぶような慎重さでゆっくりと。

「……君のお父様にいたっては、帰っていらっしゃらなかった」
「その話はもう何百回も聞いた」

 うんざりとしたようにトーリは返す。

「なら、〈竜の民〉の栄光を取り戻そうとか、何か反発心みたいなものから、そういうことを考えているんだったら——」
「おれそんなに子供じゃないんですケド」

 ふくれ面のまま、トーリは半眼になる。
 竜がこのヴェルシエル大陸から姿を消して幾星霜。
 竜と契約する旅に出たものの、ことごとく失敗した〈竜の民〉は、居場所を失うように大陸の奥へ奥へと移住していった。
 まるで、つまらないおとぎ話の続きみたいな話。
 それにがっかりするほどトーリは子供でもなんでもなければ、過去の威光とやらにも興味はない。ましてや、反発心や人々を見返したいがために竜を探す旅に出たいなど、もっての他だ。
 すると、今までと異なる真剣な面持ちでセトが逆に聞き返してくる。

「なら、君のお母様は?」
「え?」

 静謐せいひつな瞳で、言葉を重ねるように。

「旅に出た君に何かあったら、トーリ君のお母様が悲しみますよ」

 ぐっ、とトーリは押し黙る。
 とっさに言い返せず、セトをにらむように見返すも、それで事態が好転するわけもない。

「……今日のセトさんは性格が悪い」

 せめてもの抵抗のつもりでトーリが口にすれば、セトが困ったようにまゆを下げた。口元には申し訳なさそうな苦笑が浮かんでいる。
 未だかつて、情に訴えるような切り口でセトはトーリを説得にかかったことがない。
 母親を引き合いに出されたが最後、トーリがどうあがいても引き下がらざるを得ないとわかっているからだ。
 トーリはセトのことを嫌いになりたくないのだ。否、こんな状況でも「お母様を置いていくのですか?」という言葉を選ばない優しいセトのことをどうして嫌いになれるのだろう。
 どうして今日に限って——そう、どうして今日に限って普段は言わないようなことを言うのか。思わず非難めいた視線をセトに向ける。
 と、鋼のように硬質だったセトの空気が和らぐ。
 見れば、セトは小さな笑みを浮かべていた。

「セトさん……?」
「君がそういう子だから、私もつい甘くなってしまうんですよねぇ」
「うん……?」

 意味がわからず、器用に片眉をひそめる。
 唐突に、セトが一言。

「トーリ君、旅に出てもいいですよ」
「え?」
「旅に出てもいいですよ、と言ったんです」
「ほんと!?」
「これ以上、ダメダメと言っていたら、そのうち夜中に抜け出しそうですからね」

 根負けしたように、セトがわざとらしいため息を吐く。

「セトさん……!」

 ぱぁっとトーリが顔を輝かせる——と、即座にセトは真顔で言い切った。

「ただし、条件があります」
「じょ、条件?」

 声を裏返らせながらトーリは反射的に身構えた。
 セトが人差し指を立てた。一本目。

「その一。期間は最長で半年。半年経ったら、必ず戻ってくること。秋が終わって、雪が降る前には、必ず」
「半年ね! わかった!」

 元気よく、こくこくとうなずく。
 セトが中指を立てた。二本目。

「その二。渡した路銀がつきても戻ってくること」
「……お金出してくれるの?」
「ええ。でも、無駄遣いをしていれば、すぐになくなっていまいますから、計画的に使うんですよ?」

 それを聞いたトーリはぶんぶんと首を大げさに横に振った。ぼさぼさの赤い前髪がぱさぱさと振り乱れる。

「さ、さすがに人のお金で旅なんてできないよ!」

 あちこちから遠慮がないと言われるトーリだが、人のお金で喜んで旅ができるほど図太い神経はしていない。
 言い募るようにトーリは身を乗り出す。

「っていうか、それ村のみんなから集めたお金とかなんじゃないの?」
「私の個人的な貯金から出したものですから、それは心配しなくて大丈夫ですよ」
「でも! おれだって貯金してきたし——」
「じゃあ、旅の話はなかったということで」
「へ?」
「私からの旅支度金が受け取れないのなら、旅の話は白紙に戻します」

 がらりと変わってそっけなく告げるセト。突き放すように冷たい物言いは、今までのセトならあり得ないものだ。
 トーリは、ぐぬぬ、とほおをめいっぱい引きつらせながら、低い声でぼそり。

「今日のセトさんは性格が悪い……」
「性格の悪いことを言わざるを得ないようなことをしてくれる君に言われてもねぇ……」
「うぐ……」

 反論できず、押し黙る。
 セトが薬指を立てた。三本目。

「最後に、一人お目付け役を連れていくこと」
「お目付け役?」
「ええ。そのお目付け役の方が、無理だと判断したら半年と言わず、強制的にトーリ君を連れ戻してもらいます」

 難関にして難題だ。先の二つの条件を楽勝と思えてしまうぐらいには。
 生まれてこの方、十五歳と十か月。決して大人しいとは言えない部類に入るトーリは、品行方正から縁遠い素行不良を繰り返している。
 サボりや手抜きやつまみ食いが原因で、母親や他の大人にしかられた回数は数知れず。こんなことならもう少し大人しくきちんと優等生っぽくふるまっておくんだったと後悔しても遅い。
 いや、それよりも。
 トーリは急に心配になったように、頭一つ分ぐらい背の高いセトをおそるおそる見上げる。

「……た、旅に出た後、セトさんに指示されたお目付け役の人が、つまんない理由つけて、すぐおれを村に連れ戻すとか、そういうことしないよね……?」
「なんだか嫌われたものですねえ」
「だって今日のセトさん、なんか性格悪いんだもん!」

 ひな鳥がさえずるように、ぴーちく騒ぎながら、本日三度目の同じ台詞。
 セトはほとほとあきれたように軽く息を吐いた後、鷹揚おうようにほほ笑んだ。

「しませんよ」
「ほんとに?」
「本当に」
「ゼッタイ?」
「絶対」

 間髪入れずに返ってくる、穏やかながらも力強い答え。
 それを聞いたトーリがほっと胸をなで下ろす。
 なで下ろしたところで、今度は疑問のまま首をひねる。

「でも、お目付け役ってどんな人……? 里の人?」
「違います。……ああ、来たみたいですね」

 そう言ったセトが、トーリの背後を見やった。
 つられるようにトーリも振り返り。

 ——白い雪。

 とっさにトーリの脳裏を横切ったのは、そのフレーズ。
 トーリが歩いてきた青いブドウ畑の間の道。異彩を放つように、ぽつんと浮かび上がっていたのは、季節外れの雪の白——ではなく、一人の少女だった。
 色彩の一切が抜けた白亜の髪と白磁の肌。ややつり目がちなパールグレイ色の瞳。つんとした目鼻は整っていて、どこか精巧な人形を思わせる。
 ふわりと広がる髪と同じ白い衣服に、〈竜の里〉の伝統工芸である草木の刺繍ししゅうはない。
 てっきり、荒くれ風の大柄な男が現れると思いきや、なんとなく拍子抜けした気分でトーリはぽつりとつぶやく。

「……女の子?」
「ええ」

 うなずくセトの隣に少女が立つ。
 少女は何も言わずに、トーリをじっと見ていた。
 かわいいな、という感想が自然と浮かび上がると同時、トーリの口から飛び出したのは。

「この、弱そうな……?」

 ぴく、と少女の形のよい眉が跳ね上がる。
 と、少女が小声で一言。

「クィー、燃やしてください」

 直後。

「くーきゅー」

 どこからともなく気の抜けた鳴き声。
 ひょこり、と。
 少女の髪の毛の間から、見たことのない白い生き物が顔をのぞかせる。一見、耳が垂れた胴の長いドワーフウサギに見えなくもない——と、考えかけたところで、生き物が、かぱり、と口を開いた。
 凶悪にとがった歯列がずらりと並ぶ口の奥から、源泉のようにわき上がってきたのは、純白の炎。

「へ?」

 すっとんきょうなトーリの声。
 直後、白い輝きに目を焼かれながら、トーリは顔面を派手に燃やされていた。

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