〜 モモと不思議な魔法の小瓶 〜

「要するにあいつらは私をここから追っ払って、ここに儲かる宿とかを建てたいわけ」
 そう言ってリゼットはいらだたしげに切り出した。
 三人はクルミの木で作られた大きな円形のテーブルを囲んでいた。小さなキッチンがくっついた広い部屋は、紅茶の香りが漂っている。
 モモは陶器のティーカップを持ち上げると、問うてきた。
「宿って、またどうして」
「昨日、あなたに見せたでしょう。ここの店の目の前にはライラックの並木道があるのよ。そして、この店の目の前にあるライラックの並木道を見るために、ここには毎年大勢の観光客がやってくる。その観光客相手に儲かる商売したいのよ」
「はあ。一応、確認しますけど、ここの土地はリゼットさんのものなんですよね?」
「そうよ。お父さんから相続したわ」
「それだったら、出ていくも何もないじゃないですか」
 はあ、とリゼットは深いため息を吐いた。
 ノアはどこか言いづらそうな曖昧な苦笑を浮かべている。
 不思議そうな顔をしたモモが聞き返してくる。
「何か問題でも?」
「……税金が払えないのよ」
「……はい?」
「財産税」
 財産税。個人が所有している財産にかけられる税金のことだ。
 そのぐらいの知識は持っていたのだろう。モモは財産税が何なのかは尋ねてこなかった。
「それはまた…………えっと、大変ですね」
 様々な感情を抑えた上での控えめな表現だというのはわかった。そこに、何かかしらの意外ないし落胆があったことも。がっかり、とか残念という類のものだ。
 それを鋭く嗅ぎとったリゼットは、思わず半眼になる。
「あなた今、期待外れと思ったでしょ」
「い、いえ! そんなことは!」
「いいわよいいわよ。どうせあなたも町長が不当な取り立てしてくるとか、悪政を敷いてるとか、そういうの期待したんでしょう。悪かったわね。そんな話じゃないわよ」
 テーブルの上に突っ伏し、わざとらしくふてくされる。
「別に僕はそこまで言ってないですって。だから、リゼットさん、すねないでくださいってば」
 情けない声を出しながらリゼットのご機嫌を取ろうとするモモを無視して、リゼットは仏頂面でしゃべり始めた。
「ここの土地は、二年前に交通事故で亡くなった両親のものだったの。それを私が相続したんだけど、思った以上に高い税金を納めなければならないの」
「なるほど。その、この町の財産税ってそんなに高いんですか?」
「財産税そのものはそんなに高くないわ。土地にかけられる税金が無駄に高いの」
「どうしてですか?」
「この町は町自体が持っている土地が少ないのよ。だから、何とかして個人が持っている土地を手に入れようと町長と町議会員たちが躍起になってるっていうわけ。土地は何かとあると便利だもの。公共の建造物を建てるにしても、何か商売するにしても」
「はあ、でもどうしてそんなに必死なんでしょうかね」
「さあ。古都トレーネに負債があって、その借金を返済するため、なんていう噂があるけど。詳しいことは知らないわ」
 真面目な顔でリゼットは語りだす。
「だからっていうわけでもないんだけど、この町は土地を相続する条件が他より厳しいの。相続人も子どもだけに限定されてるし、相続人がいない場合、その土地は自動的に町に召し上げられる」
 引き継いだのはノワだった。
「相続の時に土地にかけられる税金が高いのも、そういうわけじゃ。実際問題、財産税が払えなくて土地を町に売る人は少なくないようだしの」
「それで、リゼットさんもそういう人たちと同じように土地を相続したものの、肝心の財産税が支払えなくて困ってる人の一人、と。そういうわけですね」
「そう。だから、あいつらはお金で払えないなら土地で払えって言ってるの」
「その、僕はそういう税金のことは詳しくないですけど、分割払いとか支払いの期限を延ばしてもらうとかそういうことってできないんですか?」
「既に支払期限を先延ばしにしてもらって、その期限も過ぎてだいぶ経つわ。利息だけ払って何とか期限を引き伸ばしてるっていう感じかしら? 次の〈ライラックの花道〉を過ぎても、支払えない場合には、そろそろ本気で差し押さえに来るでしょうね」
「さっきの人たちは、税金の取立に来た人だったんですね」
「んな大層なもんですか。ガラの悪い傭兵もどきよ」
 モモは困ったような、しょうがないような顔をした。
「それは、向こうの言い分が圧倒的に正しいですよ。税金を払えないんだったら、土地を売ってでも税金を払う。当然のことです」
「それはそうだけど……」
「それに、さっきの話を聞いている限りだと、時価の倍ぐらいで買い取ってくれるそうじゃないですか。聞いている分には悪くない話と思いますが」
「そうだけど、そうだけれども!」
「税金を支払えなくて町から差し押さえられた挙句、たたき売りみたいな値段で土地を売却することになって、滞納している税金を払ったら手持ちが空っぽ、みたいなことになるより、ほどほどのところで手を打つ方が賢明と思いますけど」
 彼の言っていることはまさしく合理的で正論だ。反論の余地は一つもない。
 だからこそ、リゼットは思わず反論していた。
「んなことは私だってわかってるわよ!」
「っていうか、一層のこと土地売って、新しい場所で商売始めた方が利口じゃありませんか?」
 などと、実にドライなことを言ってくる。
 リゼットだって、どちらが賢い選択なのかはわかっているつもりだ。
 が、リゼットにもこの場所に思い入れがある。父親と母親と一緒に暮らした家族の思い出がつまった大切な家だ。
 それを税金が払えないからという理由で、ばっさり切り捨てられるのは釈然と行かない。
 この少年には情緒とか配慮とかそういうものが少し欠けているのではないだろうか、などと思う。
 リゼットはじっとりとした半眼でモモを見た。
「……あなた、新しく商売始めるのに元手がいくらぐらい必要がわかってて言ってる?」
「さあ、僕には見当もつきませんけど」
「でしょ。……大体税金が高すぎなのよ。っていうか、なんで財産に税金かけられなきゃなんないのよ。おかしいわよ理不尽だわ!」
 そう叫びながらリゼットは隣に座っているモモの胸ぐらをつかむと、がくがくと揺さぶる。
「そんなこと僕に言われても困るんですけど。離してくださいぃー」
 リゼットはモモの抗議を無視し、しばらく彼の身体を激しく揺さぶる。
 そうして、少しばかりの憂さ晴らしを終えた後、リゼットはモモからぱっと手を離した。
「……別に私だって親からもらったからとか、そんな子供じみた理由だけでここにしがみついているわけじゃないわよ」
 ぶちぶちと自分らしくないと思う愚痴をこぼす。
「ユミトとフィリア、さっき来た子たちは父親を亡くしてて、あと母親の体調も良くないのよ。そのせいで稼ぎが足りなくて、日々食べるものが足りなくて困ってる。だから、私のとこで作ったパンのうち、売れ残ったものを無料であげてるってわけ。さすがに売り物をそのまま渡すわけにはいかないからね。でも、ここで私がパン屋をやめたらそれもできなくなってしまう」
 そう言ってリゼットは大人しく座り直した。モモは乱れたシャツの襟元を片手で直している。
 リゼットはモモを見ると、諦めたように眉を下げ、自分でも情けないと思う顔で笑った。
「……ごめん。わがまま言ったわ。ユミトとフィリアのことは、しょせん、問題の先送りだってことは、わかっていたの」
 そう、リゼットがいつまでもパン屋をやっていて解決することではない。
 それなら、もっと根本的なところ――町の貧富の差を埋めたり、貧しい家庭へより援助金が出るように町に意見を出す方が、よほど建設的だ。
「それどころか、あの子たちのことは単なる言い訳。税金の支払いを先延ばしにして、ここに居座っていることへの」
「リゼットさん……?」
 不思議とも神妙とも取れるモモの疑問の声に、リゼットは諦めたように笑った。
「本当はずっと前からわかっていた。どうしたって、私に税金は払えない。潮時だったのよ。むしろ、他人のあなたにはっきり言われてすっきりしたぐらいだわ」
 言いながら、心の痛みはまだ残っていたが。それでも胸のつかえは取れていた。
「ちょっと、私出てくるわね。」
 リゼットはそう言うなり、二階の部屋から出て行こうとした。
「どこ行くんですか?」
「うん? 町長のところよ。実際、この土地をいくらぐらいで買い取ってくれるのかとか、上物があってもいいのかとその辺、話しつけてこようかなって。ごめんなさい、ノワ爺様。食器そのままでいいから適当にゆっくりしてって!」
「はいはい、リゼットや」
 部屋から出て階段を下りていく途中、なぜか驚いたように後ろからついてきたのはモモだった。とんとん、と軽いリズムのような足音。
「え、今からですか? そんなに急いでやることでもないでしょう?」
「いいのよ。こういうのは気持ちに踏ん切りがついた時にやっといた方が。じゃないと、後でまたうじうじずるずるしちゃいそうだし」
 一階まで下りてきたリゼットは扉に手をかけた。
「じゃ、行ってくるわね。あなたも、ゆっくりしててちょうだい」
 そう言って手を振ったリゼットの手をモモがつかむ。
「リゼットさん」
「なぁに?」
 問いかけると、モモは唐突にこんなことを言いだした。
「僕が持っているあの小瓶は〈ユースティティアの小瓶〉といって、小瓶の持ち主である僕が誰かを手助けして、手助けされた人が喜びで満たされたり、幸せになった時に水が瓶の中から湧いてくるんです」
「水が湧いてくる?」
「この瓶そのものが水が湧き出る源泉みたいなものなんです。小瓶の水は、その方法でしか水は溜まらない」
「へえ。それはまた不思議な話ね」
 モモがなぜそのようなことを言い出すのかわからず、リゼットは適当に相槌を打つ。
「だから、僕にリゼットさんの手伝いをさせてください」
「はい?」
「まだ、期限まで時間はあるんでしょう? それまでの間に、税金が支払えるよう、このパン屋の売り上げが伸びるよう協力をさせてください。こういうのって一回や少しでも払えたら、町も待ってくれるものだと思いますし」
 リゼットはあっけらかんと笑い飛ばした。
「何言ってんのよ。そんなの無理に決まってるじゃない」
「でも、来月に最高の稼ぎ時でもある〈ライラックの花道〉があるんでしょう? もしかしたら、うまくいくかもしれません」
「お気楽ねぇ。そんなうまくいくわけがないでしょう。一回払えば、はい、おしまいってわけじゃないのよ?」
 だが、モモは朗らかに笑うだけだ。
「やる前から決まってることなんて一つもありませんよ。月並みですけど、追い出されて後悔するより、最後までやれることはやれるだけやっておいた方がいいじゃないですか」
「そう言ってくれるのは嬉しいけれど、でも、それはあなたには関係ないでしょう?」
 突っぱねるつもりも、嫌味のつもりでもなかったのだが、自然とそんな言葉が出ていた。
 モモは単なる通りすがりの旅人。リゼットのやることに口出しする権利も義務もないはずだ。良くも悪くも他人。リゼットの中ではしっかりとした線引きがされている。
 しかし、モモは頑なに首を横に振った。
「関係ありますよ。リゼットさんは僕の恩人です」
「恩人って、ただ一晩泊めただけよ。大げさだわ」
「もし上手くいけばリゼットさんだって嬉しいでしょう? そうしたら、僕も小瓶に水を溜められるし、リゼットさんもこの場所から出て行かなくて済むじゃないですか。ほら一石二鳥です」
「そりゃ、そうかもしれないけれど……」
 なんだか上手に丸めこまれているような気がする。
「それに、僕が手伝いたいって思っちゃったんです。駄目ですか?」
 迷惑をかけないよう、子供の顔で聞かれる。その表情は卑怯だ。強く駄目と言えなくなってしまう。
 リゼットは苦笑交じりのため息を吐いた。
「……私も往生際が悪いなぁ」
 それを聞いたモモが、嬉しそうに口元を緩ませるのだった。

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