〜 モモと不思議な魔法の小瓶 〜

 昼を過ぎると、客の入りも徐々に少なくなっていった。
 パンの売れ行きはそれなりに好調だが、完売まではまだ遠い。
 新商品は後一つ、二つほどで売り切れそうだが、古くから売っている商品の方の売れ行きがどうにも良くない。
 そんな時、声を上げたのはモモだった。
「リズさーん、今焼いてるパンが焼きあがったら、適当なカゴに入れて、僕に貸してくれませんか? それと、店内のパンも同じようにいくつか小さめに切り分けてカゴに入れて欲しいんですけど」
 モモに言われた通りのことを行い、リゼットは彼にパンを手渡しながら尋ねる。
「いいけど、どうするつもりなの?」
「外で食べてるお客さんに売ってきます」
 そう言ってモモはコーヒーの入ったポットとパンを器用に抱えると、外へ出て行った。
「あ、ちょっと……」
 店内に他に人がいないことを確認してから、リゼットも後を追う。
 モモは入口より少し離れた位置にある椅子に座ってパンを食べている若い女性客二人に話しかけていた。
「よろしかったら、こちらのパンが焼き上がりましたので、ご試食いかがですか?」
「出来立て? おいしそう」
 そう言って女性は試食用に小さめに切り分けられたパンを口に運び、顔をほころばせる。
「あら、おいしいわね」
 そこへモモはもうひと押しするように、すっとコーヒーの入ったポットを差し出して見せた。
「お買い上げいただいたお客様には、追加でコーヒーをサービスしていますが……」
 にこり、と人好きのする笑顔を浮かべながら、モモ。
 見た目、人形のようにきれいな顔立ちの少年だ。女性客二人が、モモの笑顔にほんのりと頬を赤らめるのがわかった。
「……それじゃあ、一ついただこうかしら」
「お買い上げありがとうございます」
 器用にパンを油紙の間に挟み、女性客へと手渡すモモ。
「うーわー。あいつ、たらしの才能あるわ」
 その様子を眺めながら、リゼットは小声でつぶやいた。
 すると今度は、モモは店の前を通りがかった子連れの親子に駆け寄った。先ほどリゼットが切り分けたパンを差し出している。それからポットを持ち上げて何やらコーヒーの存在をアピールしている。
 やがてモモは親子といくつか会話をした後、親子を連れて店の方に歩いてくる。
「リズさーん、三名様ご来店です」
「……たらしだわー」
 誰にも聞こえないような棒読みで、リゼットはそうつぶやいた。

 閉店前。
 陳列棚のパンは、ほとんど空になっていた。
 店の中にユミトとフィリアの姿はない。二人には手間賃としていくらか紙幣を握らせ、家に帰らせた後だった。
「売れた……。嘘みたい」
 その光景を眺めながら、リゼット店のカウンターの中で放心したように立っていた。
 表の椅子などを片づけに行っていたモモが店に戻ってくる。
 彼は店に戻ってくると、ガラス張りの壁の手前にあるロールカーテンを下に引いた。
「あなたって、商売してたことあるの? 慣れてるような印象を受けるんだけど……」
「いえ? 僕は根っからの根無し草ですから。旅先で仲良くなった商人さんから、ちょっとコツみたいなものを教えてもらったぐらいですよ」
「でもそれだけじゃないでしょう?」
「まぁ、旅先で路銀に困るとお金を稼がないといけないので、旅の途中で摘んだ薬草とか道端に並べて店開きしたこともありますけど」
「やっぱり商売したことあるんじゃない」
「日銭を稼ぐ程度の商売ですよ。こういう本格的なのは初めてです。いやぁ、本当にうまくいって良かったです」
 まるで自分のことのように無邪気に笑うモモ。
 リゼットは少し照れくさそうに、もじもじと手を後ろ手にやりながら切り出した。
「……あの、ね」
「はい?」
「あ――」
 言いかけたところで、リゼットは開いていた口をゆっくりと閉ざした。
 言葉を飲み込むように唇をきゅっと横に結び、ゆるりと首を横に振る。
「……やっぱり、なんでもないわ」
「ええ? なんか気になるんですけど」
「じゃあ、〈ライラックの花道〉が終わったらね? そしたら、必ず教えてあげる」
「わかりました。それじゃあ、待ってます」
「うん、待っててちょうだい」
 全部終わってから、ちゃんと彼に感謝の気持ちを伝えよう。
 そう心に決めたリゼットは、今、口にしかけた言葉を胸の奥にそっとしまうのだった。

 その日の夜は、すべての物が眠りに落ちたように静かな夜だった。
 新商品を販売し始めてからというもの、店の売り上げは順調だった。
 ユミトとフィリアにも手伝ってもらい、彼らに気持ちばかりの賃金を払えるようになっていた。それどころか、二人が午前中にやっている靴磨きを中断して手伝ってもらわないと店が回らなくなるぐらいには、店は繁盛していた。
 正直、とんとん拍子に売り上げが伸びていて、リゼットとしては怖いぐらいだ。
 本番は〈ライラックの花道〉が開催される明日から。
 数日の売り上げから翌日の売り上げ予想を立てた上で、店を閉めた後に、市場に仕入れをしに行って、下準備が出来るものは出来るだけ下準備をして――。
 そこまで考えを巡らせたところで、リゼットはお腹のあたりが痛くなるのを感じていた。
 明後日に向けて気を引き締めないといけないのだが、緊張しすぎて胃が痛くなってきたようである。ついでになんだか眠れない。
(散歩ついでに広場まで行って、広場の井戸の水でも飲んで来ようかな)
 そう考えた矢先。
 外に出るため、一階に降りようとしたリゼットはきょとんと目を丸くした。
 リゼットの視線の先には、闇夜に紛れて外に出て行こうとするモモの姿が。
 足音を殺してリゼットは一階に下りると、扉を開いた。外にいるはずのモモを探す。
 ふと見上げた夜空には、煌々と静かな光を放つ月が輝いている。月の光に照らされたライラックの花は紫色に輝いているようだった。
 視界の端にモモの姿を発見する。モモは店の脇にある道を通って店の裏に向かっているようだった。裏には明日の小麦粉やチーズが置いてある小さな倉庫がある。
 リゼットは思わず後をつける。
 こっそり隠れながら倉庫前のモモを見やる。
 モモは鍵を使うことなく、倉庫の中に入っていった。
(……あれ、私鍵閉め忘れたかしら)
 内心で不思議に思いながらモモの後を追ったリゼットは、倉庫の入り口前で立ち止まると、耳を扉に当てた。物音は何もしない。
 リゼットは音を立てないよう細心の注意を払って扉を押し開けた。
 煉瓦で作られた倉庫の中は、真っ暗も同然だった。目を凝らしても何が置いてあるのかわからないぐらいには。
 一体モモはどこに行ったのか。そう思った時のことである。
「何をしているんですか」
 聞こえてきたモモの声に、リゼットはぎくりと身を強張らせた。
 倉庫の奥に立っていたのは、窓から差し込むほんのわずかな月の光に照らされたモモだった。
 だが、モモの言葉はリゼットに向けられたものではないようだった。モモは、リゼットがいる入り口ではなく倉庫の奥の方を見ている。
「それは明後日から始まる〈ライラックの花道〉で使う大切な食材です。手を出すのは、やめてもらえませんか」
 普段のモモからは想像もつかないほど鋭く怜悧な声である。表情も険しい。
 モモの正面から聞こえてきたのは、うろたえた男の声だった。暗がりの中、人の形をしたシルエットが見える。
「お、おれは……ちょっと迷い込んだだけなんだ。空腹だったもんで、つい食いもんがあると思っちまって……」
「でしたら、こんなところじゃなくて隣の店へどうぞ。リズさんに頼んで今日の残りのパンを出してもらいますから」
 モモは落ち着いた声でそう言うと、男に背を向けた。
 すると、得物を狙う獣のように、男が動く気配があった。きらりと暗がりでナイフのようなものが光る。男は背を向けたモモに襲い掛かろうとしていた。
 とっさにリゼットは踊り出ていた。
「危ない!」
「リズさんっ!?」
 驚いたようにモモがリゼットの方を見る。
 モモは男が動く気配に気づいていたのだろう。リゼットの腕を引っ張ると、その腕に抱き込んで後方へ飛びのいた。
「リズさん……。どうして、ここに」
「あなたが外に出てくのが見えて、それで気になって。それより――」
 リゼットは男を改めて見た。
「これは、どういうことなの。っていうかあなた誰よ!」
 口惜しげに唇を噛む男の代わりに答えたのはモモだった。
「彼は町議会員の子飼いですよ」
「え?」
「要するに町長の差し金ですよ。リズさんに税金を払えなくするための小細工をするためにここに来たようです」
「あのねぇ……。せこいにもほどがあるんじゃないかしら?」
 リゼットは呆れた。あまりにもお粗末な動機だ。
「ち、違う! おれは……って、そいつの言葉を真に受けるのかよ!」
「モモが私に嘘を言う理由がないもの。それに、借金の取り立てみたいな感じで税金取り立て来る町長さんならあり得そうだわーって納得しちゃったし」
「ぐ……っ」
「別にこんなことしなくても、税金は払うって言ったし〈ライラックの花道〉が終わっても払えなかったら、契約書に基づいて私から土地を買えばいいだけの話でしょう? それとも、まさか、そこまでして無理矢理土地が欲しわけ?」
 リゼットは半ば冗談交じりに聞き返す。
 肯定したのはモモだった。
「そうですよ」
「え……?」
 まさかモモに肯定されるとは思わず、とっさにリゼットは聞き返していた。

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