〜 モモと不思議な魔法の小瓶 〜

 城壁に囲われたリラの町の入り口。そこから幅広の道が真っ直ぐに延びている。
 初夏、一本の道を挟んで両脇に広がる緑豊かな森は、どこまでも色深い夏の緑ではなく、まだ幼さの残る青い緑色をしていた。
 道を見つめるリゼットの背後では、商人が積み荷を馬車の荷台に乗せている。それを手伝っているのは金髪に水色の瞳の少年――モモだ。
 荷積みが終わったらしい。モモがリゼットの隣にやってきた。
「……本当に良かったんですか。土地、結局、町に売っちゃって」
「結局、税金は払えなかったんだもの。約束は約束でしょ」
「けど、リズさんのご両親のことがあるわけですし、その辺りを持ち出せば、それぐらいどうとでもなるんじゃないんですか」
 食い下がる彼に、リゼットはくすりと苦笑した。
「それじゃあ、単なる脅しじゃない。……いいのよ」
「まあ、リズさんがいいって言うなら僕はいいですけど……」
 渋々とモモが引き下がる。なぜかモモの方が不満そうだ。それが妙に子供っぽくて、リゼットは小さく笑みをこぼす。
「あなたには、色々と世話になっちゃったわね」
「僕が勝手にしたことですから、気にしないでください」
「その……怪我、とか大丈夫なの?」
 失礼にならない程度にモモの身体を見やる。
 あの日、リゼットの倉庫で起きた事件のうち、モモが拳銃で撃たれたという事実は伏せられたままだった。
 彼が自動人形だと知れたら、話がもっと大きくなる。
 それが、〈ユスラの自動人形〉――オスティナート大陸の先住民である、オルドヌング族が遺した遺産の一つなら、なおのこと。最悪、彼の身柄が古都トレーネに借金のかたとして押収される可能性も。
 この辺りを知った上で上手に誤魔化してくれたのはノワのおかげだった。
 今考えると、ノワはモモと最初に出会った日に、モモの正体に気付いていたのだろう。モモと初めて出会った日、意識を失った彼の衣服を取り換えたのはノワだったのだから。
 モモは気にしたことがないとでも言うように、あっさりと手を振った。
「ああ、基本的に僕の身体は自動修復機能がついてるので、壊れたりとかしても時間が経てば治るんです。だから心配しないで大丈夫ですよ」
「……私と出会った日も、あなたが怪我の一つもなかったのは、そういう理由だったってわけね。あ、そうだ。そういえば、あなた普通に食事してたけど、身体の中どうなってるの?」
「口から摂取されたものは、栄養価に応じて体の機能回復の方に使われるみたいです。一応、味覚も普通にあるんですよ」
「話聞いてる限りだと、ほとんど人間と変わりないように聞こえるんだけど」
「違いますよ。全然、本当に人形《ぼくら》と人間は違う。――だって僕らは人間と違って何か弱さを克服したり成長したりすることができない」
 ひどく落ち着いた――ただし、強い声で否定され、一瞬どきりとする。
 モモは急にこんなことを言いだした。
「覚えてますか? 初めて出会った次の日のこと。あの時、叩かれそうになったユミトくんをリズさんがかばいましたよね」
「そんなこともあったわね」
「……あの時、僕は足がすくんで動けなかったってこと、知ってました?」
「え?」
 モモは眉を情けなく下げたまま話し始めた。
「僕もね、リズさんと同じで、とっさに動こうと思ったんですよ。……でも、身体が動かなくて……。それで、気が付いたら、リズさんが叩かれてました」
「そんなの、当たり前じゃない。怖くて動けないことなんて、誰だってあることだわ」
 それはリゼットの本心だった。
 だが、モモは苦笑した。
「それが残念なことに、今回が初めてじゃないんですよ。僕は、誰かが危険な目に遭いそうになっても、その場に立ち尽くすだけで何もできないで……その、助けようとは思うんですけどね。でも、いざとなると、身体が動かなくなって。結局、いつも誰かが傷つくのを黙って見ているだけなんです。その度にすごく後悔して。……情けない話ですよね」
「そんなこと――」
「でも、リズさんは違った」
 リゼットの声を遮って、モモは続ける。
「僕の正体を知って怯えた後も、僕を助けようとしてくれた。必死に立ち上がってくれた」
「それは……だって、そんなこと言ったらあなただって、あの時、釜戸を壊そうとしていた人を必死に止めようとしてくれたじゃない」
「……あの時は、ここで逃げたら二度とリズさんに信じてもらえなくなるって思って。そっちの方が怖く。あと、月並みですけど、無我夢中みたいな感じだったというか……。なんで僕にあんなことができたのか、今でもわからないぐらいですよ」
 困ったように頬をかきながら、モモ。
「まぁ、でも、そういう風に僕が臆病なままなのは、人形だからとか、そんなこと関係なくて、単に僕が弱いだけの……卑怯者なだけっていう話なのかもしれませんね。あはは……」
 軽く自嘲するように笑ってから、モモは空を見上げた。
「……でも――そうなんだとしたら、ちょっと……本気で、落ち込むなぁ」
 消え入りそうな声でぽつんと言う彼に。
「そんなことないわ」
 リゼットは優しく笑うと、首を横に振った。
「あなたは弱くなんてない」
 その声は静かながらも、相手の胸に染み込むような力強いものだった。
「今まで、あなたは何度も私を励ましてくれた。前向きになりきれない私を勇気づける言葉をかけてくれて、自分のことでもないのに一生懸命考えて、お店を手伝ってくれた。そんな風に誰かを支えられる人が弱いなんてことない。むしろ、強くなければできないことよ」
 リゼットは繰り返した。
「あなたは決して弱くなんてない。強くてとても暖かい心を持った人だわ。だから大丈夫――」
 そう言ってリゼットは、大切なものでも包み込むように、モモの手をそっと握りしめた。
「ありがとう、モモ」
 友達になろうと言って手を差し出した時のように、モモは頭を手で押さえながらうつむいていた。ふるふると、雨に打たれた子犬のように震えるモモは溢れ出す感情を必死に押し殺そうとしているようにも見える。
 ……その時、ひっそりとモモが泣いていたことにリゼットが気付いたのは、彼には内緒だ。

 モモが荷積みの終わった荷台に乗る直前、リゼットは問いかけた。
「そう言えば、小瓶に水は溜まったの?」
「ええ、ほら。御覧の通り」
 モモは懐から小瓶を取り出し、それをリゼットに見せた。
 小瓶の水は、初めて見た時より、少しだけ増えているように見えた。
「……本当に溜まってる。どういう仕組みなのよ、これ」
「さあ。僕もさっぱりです」
 あっさり肩をすくめるモモは、相変わらずへらへらと笑っている。
 問うべきか否か。リゼットは悩むような間をおいてから、ゆっくりと問いかけた。
「……ねえ、あなたの願いごとって何?」
 それはリゼットの素朴な疑問だった。
「その小瓶の水がいっぱいになったら、願いごとを一つ叶えてもらえるんでしょう? あなたは何を願うの?」
 果たして人形である彼《モモ》が、小瓶の水が満たされた時、何を願うのか。
 モモはきょとんと目を瞬かせた後、くすくすと笑い出した。
「やだなぁ、リズさん。遥か昔から、人形が夢見る願いごとって言ったら一つしかないじゃないですか」
「な、なによ」
 水を差されたように、むぅと口を尖らせる彼女に。
「僕は――人間になりたいんです」
 柔らかな眼差しで、モモはそう言った。

「近くに来たら、また遊びに来てちょうだい! その時までに新しい商品も作っておくから」
「はい、必ず!」
 オスティナート大陸、十大花宴である〈ライラックの花道〉を終えたリラの町から、小さな荷馬車が出発しようとしていた。

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